NACOS Radio: July 2011

Hot weather, by Dr. Yoko Kelley

健康コーナー

気温が気になります。
I’m concerned about the hot weather.

今年の夏は例年より暑いです。
This summer is hotter than usual.

蒸し風呂にいるようです。
I feel like I am in a sauna.

暑くて気が遠くなりそうです。
It’s so hot that I feel faint.

うだるような暑さです。
It's swelteringly hot.

暑くて死にそうです。
It’s so hot that I feel like I’m dying.

汗が滝のように流れます。
Sweat runs like a waterfall.

頭痛やめまいがします。
I have a headache and feel dizzy.

熱中症でしょうか。
Am I suffering from heat stroke?

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滝のような汗
Illustration by Dr. Norman Kelley


Sink or swim, by Yoko K

俳句

イチかバチか今年の野菜は葱にトマト
いちかばちか ことしのやさいは ねぎにとまと

Sink or swim
Vegetables of the year
green onions and tomatoes



Japanese women have come a long way, by John S

 日本女性のお話です。昔、父が、日本女性について、面白い話をしてくれたことがあります。20世紀中頃から、日本女性が、どんなに変化してきたかということでした。父が、福岡の板付空軍基地に配属された時、父の友人が、日本人女性と結婚しました。しかし、その友人は、日本人女性と結婚したのに、どうやら、日本語を全く理解できなかったらしいのです。彼は、奥さんの母親の名前を、丸二年間、「お茶」だと思い込んでいました。と云うのは、彼が、奥さんの実家を訪ねた時、父親が、いつも、「お茶」と言って、お母さんを呼んでいたからでした。お母さんは、お茶と呼ばれると、しばらくして、お茶と共に現れました。彼は、お茶という言葉と実際のお茶が結びつくのに、丸二年かかったそうです。もっとも、現代日本女性が、こんな扱いを大目に見ないことは理解しています。

Japanese women have come a long way
My Dad told me a funny story many years ago which shows how far Japanese women have come since the mid 20th century. When he was stationed at Itazuke Air Base in Fukuoka, one of his friends married a Japanese woman, and despite being married to a native Japanese speaker, he apparently didn’t know much Japanese himself. Dad’s friend thought his Mother in law’s name was Ocha for two years - he would go to his in laws house, his Father in law would say Ocha!, and then his Mother in law would appear with tea. It took him two full years to make the connection between the tea and ocha. The Japanese women I know sure wouldn’t tolerate such treatment now!


Japanese movie, by Karen W

 私が、まだ6才の頃のお話です。50年以上も前のことです。学校が終わった後、私は、ひいおばあさんに連れられて、よく映画を見に行きました。当時、ホノルルのダウンタウンでは、日本の映画を、上映していました。化け猫映画や時代劇です。美空ひばりや三船敏郎が、強く心に残っています。映画に行く時、私は、洋服から着物に着替えました。頭には、花や鳥の飾りのついた、キラキラ光るかんざしをさしました。そして、可愛らしい下駄をはいて、浮き浮きした気分で、出かけました。日本の着物と日本の映画、本当になつかしい思い出です。


Snow in Aomori, by Olivia T

 青森県にある三沢空軍基地に勤務していた時のお話です。三沢空軍基地には、2002年から2004年までの2年間いました。三沢は大変寒いところでした。私は基地から20分ぐらいのところに家を借りて、一人で住んでいました。ある時、こんなことがありました。冬の寒い朝、私は、5時に空軍基地のジムへトレーニングに行く予定がありました。そこで、4時半に起きて、まだ真っ暗な外に出ました。驚きました。夜の間に雪がたくさん降っていて、あたり一面真っ白でした。雪は、私の車のまわりにも、家の前の道にも、たくさん積もっていました。テキサス生まれの私は、雪のことをあまり知りません。雪は、軽くてふわふわしているものだと思っていました。ですから、エンジンを思い切りふかし、スピードをつけて運転して行けば、 除雪のすんだ大通りに出られるだろうと簡単に考えていました。しかし、 それは間違いでした。私は、車をバックで出そうとしました。しかし、車はすぐに止まってしまい、まったく動かなくなりました。私は54キロの体重で車を押したり、シャベルを取り出して雪かきをするはめになりまし た。それは気が遠くなるような作業でした。しかし、早朝にもかかわらず、運良く、仕事に行くためにトラックの準備をしていた近所の人が、私を見つけてくれました。私の日本語も、その人の英語も、あまりうまくありませんでした。しかし、状況は、すぐにわかってもらえました。近所の人は ニコニコして、ジェスチャーで「ちょっと待って」と合図しました。そして何かを探しにトラックに戻りました。それからすぐに、大きなチェーンを持ってきました。それを私の車につなげて、彼のトラックで私の車を2、3回引っ張り、雪の中から車を引き出してくれました。私は片言の日本語で、何度も何度もお礼を言いました。彼も笑顔でうなずきました。私が青森に2年間滞在している間、何度か近所の人に親切にしてもらいました。このお話は、その一つです。


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